月衛門が引き連れていた男達は死者の山を乱暴に崩した。
そして彼らは、井戸の傍らに停めてあった大きな荷車に向けて凍り付いた裸を次々にぶん投げて乗せ始めた。お雪は彼らを密かに見渡したが腕吉は見当たらなかった。
小柄だが肩幅広く、ずんぐりした禿げ頭の男にお雪は見覚えがあった。婆様を縛ってどこかに引きずって行った男である。背丈は男性達の中では低い方なのに力はかなりあるようで、死者の一人二人を軽々と持ち上げては荷車に手際よくどんどん放り投げた。その度に裸は弄ばれるように硬直した姿勢のまま回転しながら宙を舞った。
一本の胸の氷柱が折れた。禿げ頭の男はそれを拾い、手首だけで荷台に投げて載せた。
月衛門は腕組みをしながらその様子を黙って見ていたが、時々下層の者達をじろりと見まわしていた。
ある時にお雪は月衛門と目が合った。彼女が慌てて目を伏せると、大男は「ふん」と鼻を鳴らしてすぐにどこか別の方を向いた。
禿げ頭の男は、車に引っ掻けてあった縄を取り出した。太く長い縄だった。彼は死者達を凝視し、次に頭領に顔を向けて、「親方、これはやはり狐の仕業で」と小声で言った。
お雪は急に耳が敏感になった気がした。
だが月衛門は男に対し「てめえも黙っていやがれ」と低く言い放っただけだった。
禿げ頭の男は黙って荷台の山を縄で大きく囲い、雁字巻きにして締め上げた。
その時に、月衛門の陰からにゅっと別の男が出てきた。お雪は死者達を観察していた時のような目で、その前のめりに突き出すような動きを見ていた。
その男は背が高くヒョロっと細長い体で、髪は後方に結って髷にし、鼻下の人中を軸に左右対称の短い口髭がある。他方で、顎髭は綺麗に全て剃り落としていた。髭の剃り跡はお雪の目にはほとんど映らず、集落の男性の中で言えば肌は相当色白で、そして滑らかそうであった。この男性にお雪は見覚えがあった。過去に、自宅である「犬小屋」に来た事がある――名はシンノスケという。字では心之介と書く。その時に彼は母と話をしていて、相変わらず犬小屋みたいな所に住んでいるなと、嘲笑気味に言っていた事をお雪は特によく覚えている。
母が言うには彼は集落では頭領の次に偉いらしい。裾口をすぼめない形の丈の長い袴を穿いており、横に大きく突き出た特徴的な肩衣はまるで頭領よりも偉そうに見えた。
彼は禿げ頭の男に指図をしていた。
「おう!ちゃんと縛ったか?よし、じゃあ先に帰っていろ」
「へい、兄貴」
禿げ頭の男は他の男達とともに荷車をゆっくり引きながら自分達の家の方角へと帰って行った。心之介は右手で背を掻き、左手はチョビ髭の片方を捻じるようにいじっていた。
「それにしても親方!」と彼は言って、敢えてどこか遠くの山の方を見ながら間を置いた。
月衛門は心之介に顔を向け、そして数歩彼に近寄った。ざっく、ざっくと、地の雪を踏む音が辺りに低く響いた。その音を聞いて判断したかのように心之介は顔に少し笑みを浮かべ、器用な足つきで頭領に体と顔を向けた。
「困りますねぇ、こういうのは……やられたのは大体が女子供ばかり。男どもは、一体何をしていやがったのか」
心之介の目は頭領に向けられていたが、下層の男性達は自分達に言及がされて一層下を向いた。お雪は黙って彼らの仕草を観察していた。
「困りものだ――まあ見た感じ、ろくな女が残ってなかったみたいだが」
月衛門がそう言うと、何かが可笑しかったのか、心之介はげらげらと笑い出した。月衛門は笑っていない。お雪には男の感情は正直よく分からなかった。
笑い声が止んだかと思うと心之介は両手を腰に当て、下層の男性達の前に歩み出た。
「こら、お前達!困るぜ……自分達の管理もできないのか?」そして彼は女は残っているのかという事を問いただし始めた。
下層の男性達は敢えて相手に目を合わせないように黙っていたが、相手がさらに一歩踏み出して近寄ると男性達の一人が慌てて代表するように数歩前に出た。
「いえ、それが、心之介さん」と彼は弁明を始めた。
男性の口調はお雪にものを言う時とは明らかに変容していたが、相手が相手で無理なからぬ事と、お雪は冷静に察した。
――それにしても、女、女と、この場にいる彼らが強調し連呼する意味は何だろう。お雪には理解しかねたが、それはその時だけであって、割とすぐ後にその意味を彼女は察する事になる。
幼い彼女とて、全く見当が付かない程には無邪気ではなかったのである。
「おう。何だ、言ってみろ。聞いてやる」
「あぁ……。まだ調べていませんが、どの家の女房も、全員――」
すると心之介は相手を馬鹿にするように笑った。彼は遊ぶように足を動かして草鞋の先で地の雪をいじくりまわした。
「ははは。お前――そしたら今年納めるものはどうする気だ。お前らの不手際で作物の多くも駄目にしやがって……芋も作物も、ろくに納めていないだろ。代わりにてめぇの女房か娘を出せと言いたいところだ――」
「あ、あー。いや、女と娘なら……」
その時にお雪は自分に幾つもの目が向いている事に気付いた。彼女は嫌な予感がしてきた。先程まで彼女に観察されていた男達は、まるで逆に彼女を観察し始めたかのようだった――
心之介は体の向きを変え、まるで立ちはだかるように娘の方を向いた。
彼は上からお雪を見下ろした。彼女は冷静に、相手に向けて小さく頭を下げた。
「お久しぶりです……」
「あぁ……。何でお前がここにいるの――水汲みか」
「そうです」
「フブキは元気かよ?」
それは母の名である。お雪は「はい」と答えた。
心之介は少し間を置いて、顎を上げた。
「そうか。それで、さっきここで犬みたいにキャンキャン騒いでいた女はお前だったのか?」
それを聞いて、お雪は顔を真っ赤にした。言葉は出なかった。
心之介は再び高笑いして、体を左右に揺らしながらのっそりと月衛門の方を向いた。
「親方!こういう気の強い女は残っているみてぇですが。お気に召しますか?滞納されている芋や豆の代わりに貰って帰りますか……ひひひ」
月衛門は返事をせず、ただ不快そうに大きく舌打ちした。心之介は笑い続けた。
お雪は目を見開き、口をつぐみ、うつむいていた。
空の雲は非常にゆっくりと動いていた。
「女は要らねえ。特に今年の冬は要らねえ――数が減ってくれて却って好都合だ。とりあえず、俺達に二度目の手間をかけさせた代金代わりに芋でも貰って行く」
そう言って月衛門は一つの小屋に体を向けた。そこは作物を納めて保管する場所だった。
巨大な足が一歩を踏み出した時、先程心之介と話していた下層の男性は慌てて前に歩み出た。
「親方!それはどうか勘弁してください。食料だけは……」
「勘弁だと――今まではてめぇらの女をこっちによこすって事で、納めるはずの分の相当な量を勘弁してきた。ここ数年に限って言えば、冬場では俺達が一方的にてめえらの面倒を見てやった。恩恵だけ受けて、それで何も納めないつもりか?この野郎」
「来年まで……お待ちください」
「来年もへったくれも無い……今あるものを、貰って行く」
「何か、代償になるものは納めますので、どうかお待ちを」
「芋を貰って行く」
「どうかどうか、それだけはご勘弁を……親方」
食物庫に向かおうとする月衛門に対して男性は中々引き下がらなかった。
男性は地の雪に両膝を突き、さらに両手と額も雪に押し当て、「それだけはご勘弁を、親方!親方」と繰り返した。心之介は腕組みしてその様子を眺めていた。彼の腕は長く、衣に覆われて露出してはいなかったがどことなく細さをお雪に感じさせた。
お雪の目には弁明を続ける下層の男性の姿が何かに重なった。それは、強盗に襲われた自分自身に他ならなかったに違いない。彼女は弁明する男性を、密かに応援したくなった。
だが月衛門はそれに対して何をしたかと言えば――腰に差していた直刀を鞘から抜き、それを男性の頭に向けていきなり叩きつけるように振り下ろしたのだった。
虫か鼠でも叩き潰すかのようだった。お雪にはそう見えた。
何かが上方に吹き飛び――お雪は初めそれが血液だと理解できなかった。気のせいか実際の色なのかは分からなかったが、黒色に見えた――「鮮血」という形容がまるでふさわしくなかっただろう。
「うわああ」と他の下層の男性達は口々に叫び、慌てて数歩退いた。
お雪も遅れて、慌てて小刻みに後退した。声も言葉も出なかった。思わず息も止めていた。呼吸が再開された時、彼女の心拍は強まっていた。
舞った血飛沫はお雪が手に持つ桶にもかかりそうになった。
突然斬られた男性は額と手を雪に押し付けたままの姿勢で動かなかった――彼の頭部の周囲の積雪には色が滲み出し始め、お雪は目の前がぐるぐると回るかのようで、うろたえる男性達の顔は急に全員同じに見えてきた。斬られたのは自分であるような気さえして、あるいは以前に嫌々ながらも手を貸してくれた男性である気も急にして――
彼女は咄嗟に新たな死者の指の数を数えようとしたが、手の指は地の雪に埋もれ、隠れて見えなかった。呼吸は乱れに乱れた。
心之介の嫌な笑い声が横から聞こえてきた。お雪はこの時に彼の笑い声が聞こえたという事実だけを記憶している――それに対してその場で自分が何を感じたかを覚えていないという。そして何が可笑しくて彼が笑ったのか、実際の所よく分かっていないと語る。
月衛門は懐からぼろ布を取り出し、刃の先を拭いながら顔だけ向けて遠くの荷車を呼び止めた。
「おい!ミミスケ――これも持って行け」
荷車は停まり、あのずんぐりした禿げ頭の男がこちらに戻ってきた。男は懐から細めの縄を取り出し、雪に埋もれた死者に簡単に括りつけ、引きずり始めた。
お雪はそれを止めたい衝動に駆られた。実際には言葉も手も足も出なかったが、相手は何かを察したのか彼女をちらと見て二人は目が合った。眉毛が薄く、彫りが深い眼窩の奥の小さな目は娘を見据えていた。だが男は何も言わずに死者を連れてその場を去った。
「帰るぞ、シン」と言って月衛門も、結局食物庫には手を付けずにその場を去った。
心之介も一緒にこの場を去るかと思われたが、彼はふとお雪を見た。
お雪は身構えた。
「お前よ、年は今幾つだっけ」と心之介は言った。
「――数え年で十になります」とお雪は何とか冷静さを装った声を出せた。
「じゃあ、来年十一か」
「そうです」
お雪が答えると心之介は「ふうん」と言い、そしてヒヒヒと笑った。それから足元の雪を蹴ってのけ、月衛門を余裕の様子で追い、ゆったりとゆったりと帰って行った。
しばらく静寂が続き、下層の男性達は蒼白な顔にて誰も一言も発さず、一人二人がお雪の事をちらと見たがもう何も言わず、霧散するようにその場を去って行った。
お雪は一人、激しい動揺が静まらないままに黙々と井戸から水を汲んだ。痺れたように震えながら、自分の汗が桶や井戸に入らぬよう注意した。
死者を気遣う余裕を彼女はこの時に持てなかった。
家に戻ると、玄関戸が蘇ったように板が貼り換えられており、お雪は驚いた。母が直しておいたのだという。母は器用で、見かけによらず力もある。
母は、玄関戸を傷つけて汚した者が誰なのか気になっているようだった。
「それは恐らく、妖狐が」とお雪は言った。
「狐?昨日来たやつ?受け答えはきちんとしたって、言っていたじゃないか」
「所々、ちょっと変な事も言ったかも……それと、夜来た方に関しては私も完全に取り乱してしまって……」
「ええ?あらら……それで戸をかじられたのかな――でもお雪、お前が無事で何よりだわ。この冬場は、うっかりお留守番もさせられないかな。本当に危険だわ」
母はふかしてあった一本の芋を持ってきて半分に分け、片方をお雪に与えた。お雪はお礼を言って芋を食べた。ようやくの朝食だった。温かくてほくほくで甘味があった。母も、もぐもぐと芋を食べながら、手元に置いてあった何かの本を膝に置いて読み始めた。
お雪は、今朝の井戸での二度目の沙汰はあまりに異様で思い返すのも恐ろしく、話す気にならなかった。言わなくても母は近いうちに知るだろうとも思った。それであれ程の事が朝にあったのに彼女はまるで無かったかのように振る舞おうとしたのである。
しかし芋を食べながらお雪が一つ言及したいと感じた事があった――食料の事である。
「あの、母上」
「んん。どうしたのさ……お雪」
「あの。実は、この冬に食料が足りなくなるかもしれないと聞いたのですが」
「誰から」
「い、いえ、たまたま道端で大人の人が話していたので。その……」
母は娘を見て芋をかじりながら「ふうん」と言った。そして芋を食べ切った。
「収穫は確かに集落全体で酷かった。その誰かが言った事は大体正しい」
「大丈夫なのでしょうか。今年の冬は……」
「相当危ないだろうねぇ……。でもお雪、お前は安心してな。私が守ってあげるから。いつもの年に比べるときついだろうけど、私達の家は大丈夫だよ」
確かにそんな問題は無いと言わんばかりの芋と野菜が今、家の中にはあった。母が一体どこからそれらを貰ってきたのか、あるいは買ってきたのかお雪は気になってきた。
「はい、母上。でも他の家の人達は……」
「――この集落の奴らを助ける義理なんて私には無いけどね。でも飢えた奴が助けを求めに来たら、その時には何でも分けてやるさ……もちろん、できる範囲でね」
本当に困った者がいれば母はそれを助ける人であると、お雪は固く信用していた。
母はお雪を見つめた。
「お雪。今年の冬は大変かもしれないけど、何とか春まで耐えよう。厳しいかもしれないけど、耐えて必ず生き残る。いいかい」
「は、はい」
生き残る―― 朝方の凍った死者達の姿を思い返すと、その言葉には重みが感じられた。
「約束だよ、お雪。私に約束してくれるかい?約束」
「はい、母上」とお雪も母を見つめて言った。
その時に母が見せた笑顔は優しく、皮肉やちょっとしたからかいの笑みとは違った。
こんな笑顔をつい最近、お雪は別のどこかで見た気がした―― あの雪彦という、妖狐の少年。彼の笑顔がそうだったかもしれないと、お雪は思った。母の言葉に支えられてお雪はその日、家の中で穏やかな気持で過ごせた。
雲間から覗く西空が茜色に染まった頃、母親は野菜を煮ながらまた話をした。
「お雪、谷の外に行ってみたいと思う事はあるかい」と母は尋ねた。
「え?谷の外の、遠くの場所という事ですか」
煮込み中の野菜の良い香りが漂う中、お雪は母親を見た。谷の外と言えば、雪彦という少年もどこか遠くの街から里帰りをしていると言っていた。
「そう。冬を越えて春になったら、一緒に谷の外に行かないかい」
谷の外の世界に雪は憧れた。あの妖狐の少年の存在は、当然無関係ではなかった。
「はい。ぜひ行ってみたいです」
娘の快い返事を受けてか、母は優しい笑顔を再び見せた。
「じゃあ、その時になったら一緒に行こう。遠い道のりだから、春になったら準備をしっかりしてね。これも私とお前との約束だよ。お雪」
「はい。母上」
それが一時の旅なのか、この集落から去るという事なのか、それは母の言葉からは判断できなかった。だが冬を乗り超える事がいつもの年に増して重要であると認識できた。
「お雪。家に来る狐の話だけれども。まだ話していなかったけど、妖狐はちゃんと受け答えをする人間の家には野菜を運んできてくれたりもするから。木の皮や山菜なんかも」
「そうなのですか」
「そう。だから安心して。今日からは、寝る時には安心してお休み」
母は腕を伸ばし、細い指で娘の頭を静かに撫でた。お雪は「はい」と明瞭に答えた。
その後で母子は食事をとった。母の穏やかな表情は娘を安心させた。
その晩は急に冷えてきた事もあり母子は早めに布団を敷いた。お雪は布団を被った。強盗達と朝方の死者達については心の中に封じて闇に葬ろうとした。
寝ようと彼女は思った。
しかし、閉じられようとしたお雪の目に母の顔が映った――上体をまだ起こしていた母は前方を見つめ、確かにクスっと一瞬笑い、口角を上げた。そして白い歯を見せた。
その顔は美しい母でありつつも何か全く別の獣のようにも思え、お雪は穴に入るように頭に布団を被って潜り込み、闇の中で息を潜めた。
その日の最後に見た母の姿は嘘か夢であって、優しく力強い笑顔の母が本物だと、眠りに落ちる直前まで彼女は努めて思おうとした。
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