第九章:赤狐門⑦【雪降る白狐塚の谷】

 既に相当積もり始めていた地の雪に男性達は足をとられ、お雪と妖狐は圧倒的な速さで彼らに追いついた。お雪は、あの三本指の男がいたら妖狐に話そうと思った。嫌々ながら彼女に手を差し出した、あの三本指の男である。
 だが男達の指は五本ずつあったので赤霙が降り、彼らは崩れた。お雪には斬った感触があまり無かった。むしろ、何か脆い物を叩き割ったような感触だった。妖狐は素早く彼らの顔の皮だけ剥がして口に入れ、他には手を付けずとっとと先に進んだ。
 死者の廃屋は全て解体され物品は貪り尽くされていたので辺りは見通しが良く、妖狐はすぐに人が残る家屋に火をつけ終えた。
 あぶりだされて出てきた男達は鍬や鋸を持って向かってきた。
お雪は指の数だけに興味があった。数が合わぬ時は赤霙が降った。
注意深く何人見ても数が合わず、お雪は段々と怒りを見せた。男達は粗末な武器を投げ捨てて逃げ始めた。結局三本指の男はこの場に存在しなかった。
――あなた達はなぜ屑肉を受け取ったか。
受け取ったがために命を落とす。
 お雪はそれを自分で言ったのか、それとも妖狐が言ったのか、他の誰かが言ったのか分からなかった。そして男達全員が急に強盗の亭主に化けて見えた。
――生きるためだ。仕方なかったと、痩せた強盗の亭主が裸で踏ん反り返って言った。
――ならば尚の事、なぜ屑肉を受け取ったか。汝らが生き延び、この妖魔の谷を出る唯一の手段は、あの右腕以外の肉を一切受け取らぬ事であった。娘には告げたはずだ――この腕だけを持って、妖魔の谷を去れと。
 吹雪が轟音と共に吹き付け、彼らの体は崩れ去った。
 彼らの体は脆く、まるで腐った木材を思わせ、血は凍ってしまっているかのようにほとんど出なかった。彼がそもそも人間だったのかもお雪には分からなくなっていた。人が住める地ではないこの妖魔の谷で、彼らは至るべき本来の姿――土と塵と塩に還って行き、激しく降り積もる雪に埋もれて行った。

 お雪は蒼次朗と話し合って「犬小屋」はそのまま残し、いつか雪に深く埋まるであろう形で弔う事とした。「雪葬」なるものが狐の間にはあるらしい。屋根の勾配が絶妙で、恐らく家屋は全体が綺麗に埋まって行くだろうと蒼次朗は語った。
 蒼次朗は桶を尾に巻いて持ち、そこには箸や腕や櫛等の小さな物を詰めた。
 戸は壊されて食べ物は全て盗まれていたが他のものは残っていた。お雪は雪彦から貰ったあの首飾りは持って行く事にし、母が以前に見せてくれた「瑪瑙」も偶然見つけた。そしてそれはやはり首飾りの玉に似ていると思い、持って行く事にした。お雪は母が姿を変えてまだ世にいるような気がした。
 残していく物は全てきちんと整えて、お雪は外に出て倒されていた戸を元の位置の付近に立て掛けた。この場所に誰かが来る事がないように彼女は願った。
 そしてお雪は「犬小屋」を去った。
 これがこの場所に対して自分ができる最大限の弔いだと思った。
 蒼次朗は雪の上で待っていた。
「では、谷の外へ行こうか。予め雪彦と相談して決めていた場所がある。奴も後から来る」
 彼が向かったのは、お雪が普段行かない東の方角の岩場だった。その方面は岩と雪だらけで。お雪はそちらに行っても何も無いと思っていた。
 その方面の積雪は凄まじく、お雪は腰が埋もれた。蒼次朗は雪を掻き分け、進む道を作ってくれた。
 気付くと、もう集落は見えなかった。歩き始めてから結構な時間が経ち、お雪は限界を感じ始めた。しかしその時に、遠くの岩場にほら穴のようなものが見えた。
「あそこで休むか」と蒼次朗は言った。お雪は同意した。
 その穴はお雪の背なら立ったまま十分入れた。少し奥まで続いていた。
 蒼次朗は枯草や枝を集めてきて、火をつけた。明るさと温かさが現れた。お雪は自分が刀を手にしたままである事に今更気付き、刀を岩の壁際に置いた。手を開いて離す時に、何かべったりとくっついているかのような感触があった。着物は汚れ、雪でぐしょぐしょに濡れていた。その事もようやく気になり始めた。髪も水を被ったようだった。
 蒼次朗は着物を脱いで火で乾かす事を勧めた。彼は四足の狐の姿のままだったので、お雪は着物と草鞋をためらいなく脱いだ。彼が人型の姿だった時の顔について、お雪はあの長い前髪と女のような目以外はどうしても思い出せなくなっていた。

■前:第九章⑥へ

■続き:第九章⑧へ

目次へ