二人は小屋の前で、この夜のうちに集落の一族郎党を皆殺しにする手筈を話し合った。
この集落に次の朝は無いのだと。
蒼次朗が言うには、まずは小屋と枯れ木に火を放ち何人かを集落からおびき寄せ、そこで生きた者を直接「試し斬り」してみよという事であった。全てはこの晩のうちに行う。
彼は口から黒いものを吐いた。曰く、それは黒狐の少年の体の油だと――息絶える前に少年は黒狐の油は全て集落に撒くように告げたと蒼次朗は語った。
妖狐が前足の爪と爪をかち合わせると火花が飛び、油に火が付きぱちぱち音を立てて小屋は燃え上がり、すぐに枯れ木に飛び火した――火力は異様に強く、吹雪の中でも勢いよく燃えて消える様子が無かった。炎と冷気の不思議な交わりをお雪は見た。
「俺はあっちにいるから、そこの岩陰に隠れろ。者どもは俺が引きつけるから背後を襲え」
言われてお雪は頷き、岩陰に隠れ、潜んだ。蒼次朗は反対の斜面に走った。
お雪は潜みながら、思った。
――黒狐衆の中でただ一人母子を守っていたあの少年は、白狐の母親を愛していたのかもしれない。
もっとも、それは彼女の憶測で、最早確かめられぬ事だった。
蒼次朗の予想通りに、集落から何人かの男が騒ぎながら丘を駆け登ってきた。
すると向こうの斜面にいた蒼次朗はいきなり「母狐はどこだ」と言った。男達は一斉にそちらの方を向いた。その刹那にお雪は自らの血が燃えるように肢体を巡り、狐のように一直線に飛び出し男達の背に凶刃で襲い掛かった。
無我夢中で刀を何度も振ると、早くも男達の体は崩れており、色々な断面から血が色々な形で宙に噴いていた。どの一人として、ろくな反応をした者はいなかった。お雪は妖刀を両手に持ち、静かに立っていた。
ほんの一瞬の出来事だった。この時の自らの感情をお雪はあまり記憶していない。ただ、怒りの感情は不思議とあまり無かったのかもしれない。彼女はただ赤い刀を振る事に集中していた。
流血以外に最早動きを見せぬ男達に混じり、蠢く者がいた。
それは小さく呻いて血だらけで雪の上をのたうち回っていた。お雪は自分でも奇妙に感じる思考が頭を巡っている事に気付いた。
――この男の顔の刺青には見覚えがある。下唇の真下の「舌」の刺青。思えば今日見たばかりだ。何となく刺したい。仰向けにして真上から刀で突き刺してみる。男は血を吐いた。喉も突き刺すと、舌がベロンと口から出た……
彼女は鉢巻を締めた額にも赤霙を一撃喰らわせた。
「お雪、もうそれでよい」と蒼次朗は満足気に言った。
彼は他の死体を損壊していたが、舌の刺青の男の顔の傍にトコトコと近付き、顎に勢いよくかぶりつき、体の下方向に向けてビロロと小気味よく引き剥がした――そして真っ赤な舌だけ噛み千切り口に入れクチャクチャと音を立て食し、顎の残りの部分は咥えてどこかにごみのように投げ捨てた。
お雪は他の死体にも目を向けた。損傷がかなり激しい事だけが闇の中でも明確だった。
――集落では解体された部位ごとにどの家の誰に何を分配するのかは決められている。蒼次朗は教えてくれた。どの部位が分配されているかは刺青を見れば分かると言った。
お雪は知識を得た。
妖狐にも刺青を入れる者がいると彼は言った。朱の妖狐の右腕には、全体に渡って赤霙の姿形が必ず彫られていると――
また、普通の刀は血が付くと切れ味が落ちるが赤霙は真逆だと彼は言った。
刃の鋭さはむしろ増すのであると――確かに刀の鍔には血がべったり付着しているようだが、刀身はほとんど汚れた様子もなく刃はむしろ輝きを増したようにさえ見えた。
妖狐の声がまた聞こえてきた。
この刀はただ鋭く硬いだけの金属ではない。殺意そのものなのであると。
「行こう、お雪」と蒼次朗は言った。彼は丘の斜面に向けて駆けた。
お雪も駆けた。蒼い妖狐を追った。乱れる吹雪の中、二人は共に斜面を駆けた。
二人は集落に入った。
蒼次朗はまた語った――幾人かを丘に向かわせた事で、集落に残った者どもは必ず油断している。家屋に火を放てば無防備で外に出てくる。それを待ち伏せて滅多斬りにしてやればよい。この闇夜の猛吹雪の中、密かに殺そうと外で待ち伏せている狐と娘の姿など決して見えぬというのであった。
――彼はただ鋭い牙と強靭な顎を持っているだけではない。賢いとお雪は思った。そして何よりも、私の事を気に掛けてくれる――
お雪が思っていると、蒼次朗は家の壁や木製の塀の周囲に黒い油を吐いて撒き、何のためらいもなく火を付けた。油は細かく散って広がり、燃え始めた。火はすぐに中に燃え広がって家屋は内部から焼き払われると彼は語った。そうなれば、たとえこの極寒の中、吹雪の中でも物を焼き尽くすまでは火は決して消えぬと。
少しの間、お雪は火を見ていた。
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