第八章:獄門峡③【雪降る白狐塚の谷】

 骨の湖からはうねった骨の川が狭い峡谷へと伸びているようだった。
 入り組んだ峡谷の先には非常に険しいが山の鞍部に通じる道があるという。妖狐は語った。
「そこでは、谷に送り込まれた者が脱走せぬように脅しの目的で処刑された者の首が峡谷に晒されたのだ。
それで峡谷は獄門峡と呼ばれるようになったのだ」
 但し、獄舎などは無かったという。捕らえられた者は単に縛り上げられてそこら辺に放置され、首を刎ねられる以前にそれで十分処刑になっていたらしい。
 彼は話を続けた。
「だがいつだったか、山賊になっていた武家の一族が谷に連れて来られたが、その者達は獄門峡とは逆側に脱走して何とか谷に住み着いた。それでいつからか獄守の者達を逆に襲撃し始めて谷から駆逐したのだ。それで、谷の集落ができた――」
 娘は黙って妖狐の話を聞いていた。
「昔も今も、骨ならここに必ず捨てられる」と妖狐は言った。
 お雪はここが埋葬の湖だと理解した。弔いをする気持ちで、彼女は骨の上の雪を払って一つ一つ調べ始めた。骨はどれも同じに見えた。だが、母のものは色が違うはずだから見つけられるとも思った。それと、深い位置にはあるまいとも思った。
「心配するな。俺も手伝うから」と妖狐は言い「……ありがとう」とお雪は応じた。
「俺は、ちょっとそっちの方を探してみるからな」と彼は言い、どこかに歩いて行った。
 お雪は、最初全部同じにしか見えなかった頭蓋骨が、大きさの大小や顎の形、目の彫りなど様々に個性がある事に気付いた。小さいものは幼子のものだろうと思った。
「ちなみに、ここの骨は、むしろ狐のものが多いのだぞ」と妖狐の声がした。
 彼は骨の海を鼻でかぎまわりながら、尻をお雪の方に向けて尾を振っていた。彼は顔だけ一度こちらを振り向き、「俺も数えたわけではないが」と添えた。
 お雪は、狐と言うが妖狐の事かと尋ねた。妖狐はそうだと答えた。骨に違いはあるのかと尋ねると、相手は頭蓋骨の形状が違うと答えた。
「なぜ形状が違うの?」
「臓器の構造と形が違うのだ」
 妖狐はそう答えると、再び骨の探索に戻った。
 お雪は一つの小さな頭蓋骨を見つけ、それが子狐のものだと思った。お雪はそれを覆う雪を払った。そして額のあたりを静かに撫でてみた。骨は白かった。
 骨の湖の上を這いながらお雪は死者達の上に積もる雪を払い続けたが、一度調べた所に戻っている気もしてきた。
――母は見つからないかもしれない。
 吹雪く闇の中で骨の水面に正座したままお雪は力無く思った。闇の空から雪は降り続けていた。
 妖狐が足元を盛んに掘り、何かを咥えて引き揚げたのはその時だった。
「あったぞ」と彼は言い、物をお雪の前に持ってきた。丁度目が合う角度になるくらいの位置の彼女の膝の前にそれは置かれた。既に乾いていたがまだ赤く、頭頂部から後頭部にかけ損傷した頭骨で中は空洞で、顎骨は無かった。それはもう母の姿ではなかったが、全体の細長さや頬骨の形は確かに母の輪郭に見え―― そして僅かも残るその面影こそが、お雪の心を却って激しく絞め殺すように痛め付けたのだった。お雪の右目から再び涙がこぼれ、彼女は耐えられず両手で顔を覆った。「母上」とお雪は声を小さく漏らした。
 彼女は骨の湖の上に正座しながら両手で顔を覆い、前髪を乱し、そして「母上、母上」と小さく、しくしくと泣き続けながら絞るように繰り返した。彼女の声は時々「母上ぇ」と少しだけ大きくなった。涙が止まらず、彼女の右目から溢れ膝の上に垂れ続けた――
「探してこない方が良かったか」と言う妖狐の声が聞こえた。
 お雪は顔を手で覆ったまま、無言で頷いた。
「では、これはどこかに隠しておくか」
 お雪は再び頷いた。
「分かった。では持って行くぞ」
 お雪が指の隙間から自身の膝の前を見た時、物は無くなっていた。震える手を顔からようやく離すと、妖狐は戻って来ていた。「あっちに隠してきたから、もう大丈夫だぞ」と彼は言った。お雪は黙っていた。全てが終わり、自らも雪に埋葬されるのだと思った。
 妖狐は座す彼女の膝元に寄って来ていた。
「目の傷は痛まぬか」と妖狐は不意に言った。
「……また少し、痛んできたかも」とお雪はかすかな声を出した。
「傷を診てやろうか。少し目を閉じていろ」
その通りにお雪が目を閉じると、何か生温かくぬめったものが傷を舐め、瞼をめくり目の中まで念入りに幾度も舐め回した。表面は柔らかく、しかし芯のような硬さもあった。
 左目の痛みは無くむしろ消えて行き、相手は彼女から出た。お雪は右目を開けた。
 左目の視界は完全に暗かった。

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