第七章:修羅の崖②【雪降る白狐塚の谷】

「今日のうちに全部解体するぞ!全く、お前ら。こんなに残して、怠けやがって」
 月衛門の声だった。
 続けて誰かが笑った。あのおどけた心之介の声だとお雪は思った。
「でも放置しても腐らないですからねえ。親方?」と心之介は言った。
「解体っていうのは、本当は死んですぐ後にやるものだぞ。それに、シン、お前は分かっているはずだが時間もねえからよ……ここなら場所も広い。作業始めるぞ、てめえら」
 大勢の者達は銘々、鉈や大包丁や刀を持っていた。
 そして「作業」が開始された――死者の体に刃物が入れられ、切られ、削がれ――死者の体から剥ぎ取られた物は、敷かれた茣蓙の上に積まれ始めた。
「お雪、見るな」と雪彦が小声で鋭く言ったが、お雪は固まって目も瞼も動かせなかった。
 死者達の遙か上空を、幾つかの白い雲の塊がゆっくりと通過していた。空は蒼かった。
「上手いな。ヒトミ。お前は才能がある」と月衛門は言った。
「ありがとうございます。親方」と返答したのは誰か若い女だった。
「叩き出してやったお前の姑とは違うぜ……あの婆は、本当に使い道のねえ役立たずでよ」
 月衛門の声に続き周囲に、どっと笑いが起きた。若い女も「そうですねぇ」と笑った。
 女は脚と首の無い胴体を地面に立たせて押さえ、死者の物を縦に切り落としていた。
 ……この行為が行われている事を、お雪は一応知っていたはずだった。それはあの狂気の館の台所で確信した。しかし遠目とはいえ、実際に刃物が入るのを目の当たりにするとおぞましく、凄惨な行いであった。お雪は館での忌まわしい出来事を思い出し、段々と激しく動揺し始めた。
 月衛門は手を動かしながら別の者を見た。それは落ち着かない様子の若い男だった。
「股五朗!お前はまだまだ下手くそだな。もっと練習して……とっとと覚えろ」
 月衛門がぶっきらぼうに言い放つと、また下卑た笑い声が方々から起こった。
「わ、笑うな」という若い男声が飛び、その声にお雪は聞き覚えがあった。
「おいクビゾー……肉の種類はごっちゃにしねえで、整理しろよ」と月衛門はまた別の男を見て言った。
背の低い短髪のふくれ面の男が、切った肉片を目の前で指につまんでぶら下げていた。
「これだけニクがあれば、まあ、この冬は越せるのかなあ。どうですかねぇ、親方……」
「アア?本当にそう思うか?まあ丁度いい……そろそろ話すか。まず初めに、はっきりさせておこうか。今年の狐のマツリは無い。無しだ」
 座っていても巨体の月衛門は、まるで大根の皮を剥くように死者を削いでいた。
 笑っていた男達は、急にどよめき始めたようだった。心之介は余裕の表情だった。
「あれは中止ですか、親方」と誰か男が言った。お雪は腕吉の声だと思った。
「理由を聞きたそうだな?まあ、お前は大体気付いているかもそれないが……単純に、それどころじゃねえからだ。去年の狐の獲りが悪過ぎたのは、俺の見立てでは偶然なんかじゃねえ。ほぼ獲り尽くしたからだ」
 男達はさらにざわめき、近くにいる者同士で何か話し合っているようだった。
「慌てるなよ!お前ら。だから今、ニクを作っているわけよ」と心之介が言った。
「そう。今年はマツリをやる日には、俺らは谷を出る……そのために最後の食料集めを今から始めるってわけだ」
 集落の頭領がそう言う様子を、お雪は瞬きもせずに見ていた。
 男達は益々ざわめいた。
 月衛門は一つの死者を片手で吊るすように持ち、ほぼ骨にし終えていた。お雪の目にその姿がはっきりと映った。鬼に見えた。
 ざわめきの中で、腕吉は手を動かしながら愉快そうに笑っていた。
「ははは!そいつぁ、やる事が大胆すね。親方……とうとう捨てると?俺らはこの谷を」
「ほとんど何も残っちゃいねえからな、ここには。塩以外は」
 月衛門が言うと腕吉は声を少し抑え気味に笑って一本の骨をへし折り、片方の断片を放り投げた。それは空中でくるくると回転し、車の荷台の上に落ちた。カラカラと音がした。
 彼らを見る雪彦の目は一層鋭くなっていた。お雪は少し震え始めていた。
「でも、谷を出た後に俺らはどうやって生きて……」と先程のふくれ面の男が言った。
「お前、分かってないな。そんなものは、後で考えりゃいい!」
 心之介が刃物を手に、居丈高に言った。
 そして彼は月衛門に顔を向けた。
「ま、確かにこの谷と山自体が俺達の不落の要塞みたいなものだったから……土地を捨てるのは勿体ないと言えば勿体ないですけれどね?親方」
「まあ、そりゃあそうだが……似たような場所をまた探せばいい ――おいマタ!お前、何で行くなら夏にしないのかって、言いたそうだな?おい!この野郎」
 言われた青年は慌てて、何か聞き取れない言い訳をした。周囲で笑いが再び起きた。
「それは、食料を集めるためだ。下の奴らから少しでも多く収穫を巻き上げて、狐を狩ってから外に出る。今年は秋に親からはぐれた狐が偶然捕まったが、狐狩りは冬にやるものだ……」
「冬眠しているところを殺ればよいのですよね。親方」
 先程の若い女が月衛門を見て言った。女は切り離された死者の顔を刃物で抉っていた。
「穴さえ見つければ後は簡単だ」と月衛門は言った。
 そして近いうちに「狩り」を実施して真冬になる前に谷を出る計画であると語った。
 お雪の口は乾きに乾き、呼吸の乱れも制しようと思っても制する事ができなかった。
 雪彦の目は異様に鋭くなり、それは時折母が見せる恐ろしい目付きに似ているようにお雪には思えた。
 小屋の傍の枯れ木の枝が風に揺れ、がさがさとざわついた。
「面白ぇ。俺は大賛成ですぜ、親方」と腕吉は笑って言った。
「まあ、もし反対したい奴がいても自由だが、谷に置き去りにするぜ」と月衛門は言った。
 すると広い額に鉢巻を締めた男が、腕を組んでおもむろに立ち上がった。お雪はその男を初めて見た。
「下の連中はどうするつもりですか、親方。連れて行く予定ですか?」と男は言った。
 月衛門は少し黙って手を動かしていた。そして死者の残骸を荷車に向かって放り投げた。
「使えそうな奴は一緒に連れて行く。他は、知らねえ……」
 男達の多くは少し静かになった。心之介は笑った。
「心配するな!別にお前らの誰かを置いてけぼりにするは言ってねえから」
 車の荷台には死者の骨が次第に山となりつつあった。禿げ頭の耳介は荷台の山を手で均していたが、ふと網戸付きの小屋に視線を移した。
「どうした耳介。何か面白いものでもあるかよ?」と腕吉は言った。
「……いや。ただ、言い伝えではかなり古いものが入っているらしいからよ」
「ふうん。ちょっと中を開けてみろよ、お前。確かめようぜ」
「開かねえよ――鍵がかかっている。意外と頑丈だぜ」
「何だよ。じゃあ、谷を出るっていう日にでもマツリの代わりにその小屋をぶち壊そうぜ。お楽しみだ。へへっ――親方は知らないですか、そのぼろ小屋の中身は」
「ア?知らねえ……。どうせ、ごみ屑か何かだろ」
 月衛門が興味無さそうに言うと、静まっていた一同には再び下卑た笑いが起きた。
 削がれた肉片は皮袋か何かに詰められ紐で口を閉じられ、男達の肩に背負われた。何袋も背負う者もいた。お雪は死者達を見た。冬の澄んだ空の下に積まれた荷台の上の骨の山は、寒さの中で全てを剥がし尽くされた死者達の成れの果ての、惨めな姿に見えた。
「それよりも、狩りの時は今年も任せるから頼むぜ……腕吉。俺達の最後の狐狩りだ」
「任せてくださいよ、親方。へへへっ……俺も張り切るぜ」
 彼らはぞろぞろと、丘を下り荷車を引き、集団で集落へと帰って行った。

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