「―― という話なのです」と女性は長い話を終えた。
女性は最初から最後までを語ってくれた。但し、凄惨な箇所については時折端折ったと断りをつけた。酒の盃を持つ狸爺様の手は不自然に震え、顔は完全に引きつっていた。
「ほ、ほほ。ま、まあまあかな。決して悪くはない怪談話だったかな……うん」
子狐は怖がって、時々耳を伏せて聞かないようにさえしていた――もう怪談とか以前の話で、内容が時に生々しかった。女性は涼しい顔をしていて、子狐は不思議だった。
「――では、今は谷には誰もいないのだな」と爺様は言った。
「ええ。でも決して行ってはなりませぬぞ」と女性は言った。
彼女はさらりと言っただけだったが、何か凄みがあって、爺様と子狐は共に表情が固まった。
「谷には妖狐が仕掛けた罠が放置されています……崖の上にも、山へと続く坂道にも。そして谷の入り口の獄門峡にも。あれは雪に覆われていて、決して見えはしませぬ」
「あ、ああ。そうであるな。そうだな……であれば行ってはいけないな。うんうん……」
「それと、もう一つ」
「な、何だね。まだ何かあるのかな?」
「それはお雪のために。卑しくも彼女の故郷だった場所です。お雪のためにも、あの谷は、どうか静かに眠らせておいて欲しい――」
「わ、分かった、分かった。決して谷には行かない。約束するぞ。うんうん……」
爺様は酒を飲もうとしたが手が震えて少しこぼれた。
子狐は「ああっ」と言って手元の雑巾で、慌てて爺様の座布団の上を拭いた。
女性は湯気が立つお茶を飲んだ。
「ありがとうございます」と彼女は言った。
爺様はいまだに多少表情を引きつらせながらも、女性を見て笑った。
「何の、何の。――ところで、あの例の唄。もう一度唄ってもらえぬか?」
「あれですか?いいですけれど、私音痴ですので……」
「いやいやいや……あんたの声は素敵じゃよ。気に入ってしまった。頼む、頼む」
女性は了承した。
彼女は子狐を膝元に寄せた――子狐こんこん山の中 山の中――
子狐は目を閉じ彼女に寄り添い耳を傾けた。とても心地良かった。
女性は静かに唄っていた。落ち着く声に子狐は安心した。
――母親探して歩き回り 里を求めてこんこん鳴いて 雪の上に足跡残して――
遙かの峰から山尾根超えて 百夜の果てから雪降る里へ
巣穴の中で、眠りの夢に 子狐こんこんこん ――
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■『雪降る白狐塚の谷』:完
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【☆著者より:お読みくださり、ありがとうございました。】